落合中学校 平和集会での 校長先生の話

生徒の皆さん、おはようございます。

今日は広島に住むんでいる私たちにとってとても大事な日であります。そこで今日は君たちに2つのことを話してみたいと思います。

その前に「ひろしま」には3つの「ひろしま」があることを知ってますか?

「広島」というと今住んでいる住所につかう「ひろしま」

難しい漢字を使う「廣島」というと「軍都」の意味があります。

そしてカタカナの「ヒロシマ」というと平和都市の「ひろしま」です。今日はこの「ヒロシマ」について話してみたいと思います。

まず、1945年8月6日 午前8時15分 もちろん今日の集会にもありあるように忘れてはならない大事な日です。

今から67年前の出来事です。このことについて君たちは科学的に今日まで学習してきたとおりです。でもその原爆はなぜ投下されなければならなかったのか。亡くなった人たちの無念や遺族のつらい気持ちなどを学習してきました。

先日、広島城近くにある「大本営跡」や「第五師団司令部跡」を見学にいきました。この司令部に当時、比治山高等女学校の人たち学徒動員で働いていました。原爆が投下された時、この司令室の中にいて「岡ヨシエ」さん一人が生き残りました。彼女は逃げる途中たくさんの負傷した兵隊さんを看護したそうです。

彼女の書いた文章に次のようなことが書かれていました。

「脳天に穴のあいた兵隊さん。脈打つたびに中の肉が一緒にぴくぴく動く。全身黒こげで死んでいる兵隊さん。負傷した兵隊さんが地の底からうめくような苦しい声で「おかあさん」と叫んでいるのが夜空に尾を引いてまるで地獄にいるような思いだった。」

 

今、被爆された人たちも高齢化になり語り継ぐ人が少なくなってきました。この広島で何があったのかを語り継がなければならないと先生は思います。

 

二つめは何気ない日常の幸せ、だれにも認められている当たり前の幸せがについて話します。朝起きてふつうに食事して学校に行く。学校では友達と話したり勉強したり、笑ったり、泣いたり。家に帰ってきたらお風呂に入りテレビを観たり家族とくつろぐ。こういった当たり前のことが一瞬にしてなくなってしまったらどうですか?

 

今でも世界中のあちらこちらでは紛争のために子どもたちが傷ついているのは紛れもない事実です。今この瞬間でも何人もの仲間たちが傷ついています。このことを考えてほしい。

いつも傷ついていくのは子どもたちであり、女性であり年寄りです。弱いところがいつも傷ついているのが現実です。

 

今日一日ヒロシマについて考える一日であればなと思います。